~心楽堂 kokorakudo が生まれるまで~
私は昔から、「違和感」を見過ごせない人でした。
当たり前だと思われていることに疑問を持ち、
そのたびに立ち止まり、
また見ぬ可能性と出会いを信じて、
別の道を探してきました。
心楽堂 kokorakudo が生まれるまでの、
小さな物語です。
第1章 英語のおかげで、私の世界は崩れた
私は子どもの頃から英語が好きでした。
母語とはまったく違う言葉で世界を表現できることが不思議で、夢中になって学びました。そして高校生の頃、その英語が私の世界を大きく揺さぶることになります。
高校時代、アメリカ人の先生との会話の中でのことです。
私は母国の社会に対する不満をこぼしました。

この出会いが、私の価値観を大きく変えるきっかけになりました。
「政府は民生のことなんて考えていない。」
すると先生は不思議そうな顔で尋ねました。
「あなたは政府に手紙を書いたことがある?」
私は思わず答えました。
「ないです。書いてもどうせ何も変わらないから。」
すると先生は少し驚いたように言いました。
「どうして? 不満があるなら伝えればいいじゃない。政府は市民のためにあるんだから。」
私は耳を疑いました。
「そんなこと、本当にできるの?」
すると彼女は迷いなく答えました。
「もちろん。」
その一言に、私は衝撃を受けました。
彼女は理想論を語っているのではありませんでした。実際にそういう社会で育ち、それを当たり前の常識として信じていたのです。
その瞬間、私は気づきました。
世界には、自分が当たり前だと思っていた価値観とはまったく違う常識が存在するのだと。
そして、その常識の違いは、教科書ではなく、一人の人間との会話によって初めて私の心に届きました。
それから私は、いつか母国を出て、自分の目で違う世界を見てみたいと思うようになりました。
小さな種でしたが、その種は後に私を日本へ導くことになります。
第2章 交差点で、自分の人生に問いを投げた
日本への留学を決める前、私も真面目に就職活動をしていました。
上海の大学を卒業し、良い企業に就職する。そして大都市で自分の居場所を築く。
それは私だけでなく、多くの地方出身の学生にとって、ごく当たり前の目標でした。
ある日、面接を終えた私は、蒸し暑いスーツ姿のまま交差点で信号を待っていました。
目の前では、たくさんの人と車が慌ただしく行き交っていました。
その光景を眺めながら、ふと一つの問いが浮かびました。
「これは、本当に私が生きたい人生だろうか。」
もちろん、その道が間違っているとは思いませんでした。
けれど、毎日同じ時間に出勤し、決められた場所で働き、決められた人生を歩む自分の姿を想像しても、なぜか心が動かなかったのです。
その頃の私は、高校時代に芽生えた「もっと広い世界を見てみたい」という思いを、まだ捨てきれずにいました。
就職という安定した道を選ぶのか。
それとも、まだ見ぬ世界へ飛び出すのか。
交差点で立ち止まっていたのは、信号の前だけではありませんでした。
私は人生の分かれ道の前にも立っていたのです。
そして最終的に選んだのは、日本への留学でした。

違和感を見逃さない癖は、この場所で更に育ったのかもしれません。
第3章 私は、一人ひとりの物語を知りたかった
私は昔から「人間の心」に興味がありました。
ご縁があって、京都大学大学院の心理学研究室で学ぶ機会をいただきました。
研究室では、人の心を行動観察や実験を通して探究していました。
研究そのものはとても面白く、夢中になって取り組みました。

「知りたい」を追いかけるうちに、人の物語に興味を持つようになりました。
しかし、研究を続けるうちに、私はある違和感を抱くようになりました。
実験に協力してくださった方々は、それぞれ異なる人生や背景を持っています。
けれど研究の中では、その人たちの物語に触れることはほとんどありません。
一人ひとりの行動は数値化され、データとして扱われます。そして、平均から大きく外れたデータは分析の対象から外されることもあります。
もちろん、それは科学的な研究を行うために必要な手法です。
それでも私は、ときどき考えてしまいました。
「平均から外れたその人には、どんな物語があったのだろう。」
私は人間の心を知りたくて心理学を学び始めました。
けれど次第に、データとしてではなく、一人の人間として目の前の人と関わりたいという思いが強くなっていきました。
そして研究者の道ではなく、一人ひとりの成長をそばで見守ることができる仕事を選びました。
それが、大好きな英語を生かせる英会話講師という仕事でした。
振り返ると、私の人生は何度も「違和感」から始まっていたように思います。
世界には自分の知らない常識があると知った高校時代。
みんなが進む道に疑問を抱いた就職活動。
そして、一人ひとりの物語を知りたいと思った大学院時代。
その小さな違和感の積み重ねが、今の私につながっています。

一人ひとりの成長に寄り添う時間は、今も私の大切な原点です。
第4章 私のロマン
私は日本が大好きです。
思いやり、謙遜、そして好きなことをとことん磨き続ける姿勢。
日本で暮らす中で、私はたくさんの「美しい人たち」に出会ってきました。
職人のように仕事に向き合う人。
誰かのためにさりげなく動ける人。
好きなことを何年も続けている人。
有名人だけではありません。
身近な人たちの中にも、「すごいな」と思う人がたくさんいます。
そして、そういう人たちと関わる中で、私はあることに気づきました。。。
ある時、明るく気さくに話してくれる方に、冗談まじりで
「○○さんは自己肯定感が高そうですね」
と言うと。
その方は少し表情を曇らせて、
「実はね……」
と、かつて人生を終わらせようと考えたことがあると打ち明けてくれました。
けれど最終的には踏みとどまり、少しずつ人生を立て直してきたのだそうです。
私は驚きました。
私から見れば十分に魅力的で、周囲にも良い影響を与えている人だったからです。
そして、不思議な気持ちにもなりました。
もしあの時、その方が別の選択をしていたら、
今、人に感謝される仕事をしていることも、
私と出会うことも、
この会話をしていることも、
きっとなかったでしょう。
私は思いました。
人生には、
自分では想像もできない可能性がある。
だからこそ、「今見えている世界がすべてではない」
と知ることが大切なのだ。
振り返れば、私自身もそうでした。
高校時代の英語の先生との出会いが、私の人生を大きく変えました。
その出会いは、一度きりの出来事ではありませんでした。
むしろ、その後の人生の中で複利のように変化の連鎖を生み出していったのです。
それまで信じていた常識が覆され、私は初めて外の世界へ目を向けました。
就職活動でも大学院でも、私は期待される道よりも、別の可能性を探る方を選びました。
結果、一つの出会いが次の出会いを呼び、その出会いがまた新しい世界を見せてくれました。
私は、人は出会いの数だけ可能性を持てると思っています。
知らない文化に触れること。
知らない人と出会うこと。
今までとは違う世界をのぞいてみること。
そうした出会いは、自分でも気づかなかった可能性を教えてくれます。
「もしかしたら、明日はもっといい」
と信じさせる可能性。
そう信じられると、心は楽になる。
だから私は、そんな出会いや発見が生まれる場所を作りたいと思っています。
語学も、心理学も、音楽も、そのための手段です。
人と世界をつなぐこと。
人と人をつなぐこと。
そして、人と自分自身をつなぐこと。
それが「心楽堂 kokorakudo」に込めた願いです。
ここに来れば、心が「楽になる」。
それは、ただ休むという意味だけではありません。
新しい出会いによって世界が広がること。
新しい体験によって選択肢が増えること。
そして、自分でも気づいていなかった可能性に出会うこと。
そんな瞬間の積み重ねによって、心が少し楽になる。
心から「人生は楽しい」と思えるようになる。
私は、そんな場所を作りたいと思っています。
決して救世主になりたいわけではありません。
ここでは、素晴らしいものを作れるのに、自分のことは後回しにしてしまう人がいる。
美味しい料理を作れるのに、自分の好きな味を語ることは苦手な人がいる。
面白い小説を書けるのに、自分の人生には価値がないと思っている人がいる。
ふつうではないのに、自分のことを「ただのふつうの人です」と言う人がいる。
そんな一人ひとりが、新しい出会いを通して、自分でも知らなかった可能性に出会えたら。
そこからまた新しい優しさや創造が生まれていく。
私はそう信じています。
それが私のロマンです。

人生は不思議です。
ひとつの出会いが、思いもよらない未来につながることがあります。
このページとの出会いも、そんな小さなきっかけの一つになれば嬉しいです。
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